夢現録

美少女ゲームの感想・考察等

景の海のアペイリア 感想・考察

シルキーズプラスDOLCE制作のADVゲーム、「景の海のアペイリア」の感想・考察記事です。

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※注意※

当記事は全編クリア者向けかつネタバレ全開の内容となっています。全編クリアされていない方はブラウザバックすることを推奨致します。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

【まえがき】

私がこの作品を知ったのは、某エロゲーの特典冊子のインタビュー中での紹介を見たのがきっかけでした。『エロゲ史に残る名作』との言葉もあり、また近未来を舞台とした魅力的な世界観にも惹かれたので、購入を決めました。

実際にプレイしてみての感想ですが、非常に面白かったです。先の読めない展開が最終盤まで続くので、常に先が気になっていました。

この作品の特徴として、図や表を駆使した作品世界の説明が挙げられます。

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プレゼンテーションとかでありそうな図ですね。

 

こういった図がかなりの頻度で出てきます。中盤の時間軸の話などは特にややこしいのですが、これがあるおかげで多少は頭に入りやすい…気がしました。まぁ実際のところ理解できているのかは怪しい部分もありますが、「理解した気持ちにさせる」のは上手いと思いました。とは言えこの手の図の説明はミスリードが非常に多く、自分は全編クリア後に僕の推理は一体なんだったんだ!となりました笑。ただ、こういった冗長とも取れるミスリードがあったことで、ラストの爽快感が引き立ったという面はあるかもしれません。まぁそれにしても説明長すぎる気がしますが…

 

プレイ中はそうした複雑な設定に振り回されていてなかなか考えが及ばなかったのですが、後になって考えてみると、推理的な要素だけでなく、明確なテーマ性を含んだものだと思うようになりました。

 

当記事ではそうした部分について掘り下げて書いていこうと思います。

尚、このゲームは各ヒロインごとに個別ルートが存在しているものの、それら全てが連続しており、アぺイリアルート後半のTRUEエンドに繋がる、という構成となっています。そのため、この記事の形式も、前半で各ルートの感想をあっさりめに書いたのち、後半で各種設定の考察や作品全体の構造・テーマについて書いていく、という形とします。

 

  OP『アペイリア』

https://www.youtube.com/watch?v=sVuzSwaSTJI

-アペイリア 景を繋いでー

 

ただただ神曲です。何度聴いても鳥肌立ちますねこれは。

動画としてのクオリティも非常に高いと思います。

オールクリア後に聴くと、シナリオや世界観を見事に表現した歌詞であることが分かります。こういったOP曲はまさにこの作品の曲!という感じがして素晴らしいです。

 

【冒頭について】

静かに雪は降りつもる。

辺り一面を染め上げるように。
舞い降りてくる白い結晶をぼんやりと眺めながら、ふと降り積もってくるのは過去なんだと思った。
空から地上へと、白い過去が降り注ぐ。
変えることのできない自然の摂理に従い、辺りを染め上げていくそれが、現在を形作っている。
この雪はいつか解けて消える。
降りつもった僕たちの過去も、いつかは解けて消えるときがくるのだろうか?

だとしても、雪が解けてなくなっても、また来年、いっと雪は降りつもり、変わらない真っ白な景色を作るだろう。
だとしても、果たして、その雪は今年の雪と、同じ雪なんだろうか?
きっと、違うと誰もが思う。

だからーー

冬休み。静かに雪が舞い降りてくる朝に、俺はこの雪が過去と同じなのか確かめるべくーー

 

どうでも良いことですが、この後はオナニーしたと続きます。さすが零一です(笑)。この直後のシーンの強烈さゆえ、この比較的長めの情景描写の印象は飛んでしまいやすいのですが、これを最初に持ってきたのには意味があります。

さて、この冒頭の文章では、毎年降り積もっては解けていく雪とその景色が、自身の人生と重ね合わせた形で描写されています。クリア後に読み直すと、タイムリープを暗示したものだと分かるでしょう。後半では、この毎年の雪が果たして同じなのかという問題提起がなされています。この問題について少し考えてみます。

 

まず、いわゆるバタフライ効果があります。バタフライ効果とは、狭義には力学系の状態にわずかな変化を与えると、そのわずかな変化が無かった場合とは、その後の系の状態が大きく異なってしまうという現象のことです。(wikipediaより)バタフライ効果という表現は気象学者の提言に由来します。観測誤差を0にすることができない限り、未来に関する完全な予想はできない、ということです。しかし、ファーストというほぼ完全な形で管理された仮想空間でもこれが成り立つのでしょうか?

 

もう一つは、雪を見る人間の状態が、見るときによって異なるという点です。ここでいう状態とは、一時的な感情や気分のみならず、それまで積み重ねてきた人生経験、すなわち「記憶」も含まれます。毎年変わらないはずの雪景色が、違うものとして見えてしまう。それはまさに、景色を目にする人間それ自体が変化しているからに他ならないでしょう。 タイムリープを繰り返す零一たちに当てて言えば、01ファイルやサードの存在によって記憶が上書きされ、本来知らないはずのことを知ってしまったことで、望む結果を得るために、全く同じだったはずの未来を歪めていくことがそれにあたります。

ここで提示されている問題とは、「意識の同一性に対する懐疑」です。私たちが日常生活のなかで自らの意識の同一性・連続性を疑うことはほとんどないかと思いますが、技術的特異点を迎えたこの作品世界では、重大な問題として主人公やヒロインたちに降りかかることになります。冒頭のこの文章は、後に登場する「スワンプマン」の問題へと繋がっていきます。そして、「自我」とは何かという問題に発展していくでしょう。この作品の一つの大きなテーマを決定づけるものとなっているのではないでしょうか。

 

 

【共通ルート】

  • あらすじ

零一が偶然にも自我を持つAI、アぺイリアを作ってしまう。その後AI研究会の三羽、久遠、ましろと共に完全没入型VRMMO「セカンド」を作り、そこへログインすることに。ところがセカンドはプレイヤー自らログアウトすることができず、強制ログアウト時には現実世界でも死亡してしまう、「デスゲーム」と化してしまう。零一たちはセカンドに囚われたアぺイリアを救出するため、セカンドの攻略を目指すーー

 

三羽との出会いを終えると、いきなり量子力学など高度な科学の話が出てきます。

最初の方では世界観と必要な科学知識の説明が中心でしたが、これはこれで楽しめました。よい具合に知的好奇心をくすぐってきます。そしてセカンドに入ってからは一気に面白くなってきます。

 

戦闘シーンでは絶え間なくキャラが動いている印象でした。セカンドのやや複雑な設定のなかでも状況が分かりやすくなっていたので良かったです。ただやはり細かい説明が多いうえ、それらはあまり重要でないので、やや冗長に感じた部分もありました。また熱い戦闘のさなかで唐突に絶印(Hシーン)が挟まるので、気分を切り替えるのが大変でした。まぁ戦闘シーン自体も下ネタなのですが……とは言えVR内の性行為というのも斬新かつ面白い題材だと思いました。その設定を活かしたシーンがもっとあると良かったかもしれません。

CGはストーリーの長さの割にはやや少ないですが、立ち絵CG共に差分が多く、十分にキャラを引き立てていたと思いました。背景も綺麗でしたね。ユグドラシルの中の幻想的な感じ好きです。また、エンクロージャーや遺伝子研究所はすごくSF的な雰囲気を演出していました。

 

全体として、共通ルートの段階ではプレイヤ側に明かされている情報が少ないのですが、謎が謎を呼ぶ巧妙なストーリーゆえ非常に楽しむことができました。

世界観と設定を少しずつ明かしながら、プレイヤーを作品世界に引き込んできます。

 

 

【三羽ルート】

三羽は、現実世界にて、死んだ娘のクローンとして産まれました。現実の母親は死んでしまい、母親に会いたいと思った三羽はファーストにて母親のクローンを作成します。

しかし義母は定期的に彼女のもとにやって来ていたようですが、愛情を注ぐ様子はなく、ネグレクトのような状態だったと思われます。彼女は唯一、ファーストの仕組みについて最初から知っていたヒロインになります。

  • あらすじ

遺伝子研究所で処分されそうになっていた三羽を助け出す。そして遺伝子研究所を乗っ取り、アペイリアの身体を作り出す。アペイリアに現実の体を持たせることで観測者に取られなくなると考えた。しかし平穏な日々も束の間、観測者によって世界規模の電力障害が引き起こされる。アペイリアを救うため、零一と三羽はセカンドにログインするが・・・。

 

 

このルートでは、三羽の母親(義母)がなかなかに強烈な設定、性格をしていました。

娘の死を諦めきれず、自分の望む完璧な娘を作ろうとして、違法を承知で娘のクローンを作成してしまう。しかもクローンが自分のなかの理想から外れていく度に作り直す。かなり常軌を逸した行動ですね…

愛されることのなかった三羽は、一度だけでも抱きしめてほしいと母親に願います。しかし母親は抱きしめるどころか、三羽の育て方を間違えてしまったなどと言って三羽を処分することを決めてしまいます。

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愛を否定する義母

義母は口では愛を強く否定していますが、納得いくまで娘のクローンを作り続けるのは、本当に愛することのできる子供を求めての行動だと言えます。

三羽も、序盤の零一との会話からは愛など強い感情には懐疑的だったことが読み取れます。その一方で自分を愛してくれる存在、大切に想ってくれる存在を切望していて、ファーストに母親を作成までしてしまった。そうした部分は親子で似通っています。

 

◎「生きている」とは?

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好き勝手に、自分らしくやりたいようにやる、それが生きてるってことだと思う。俺はな(零一)

 母親の望みに従い生きようとする三羽とは対照的に、自分の好きなようにするのが「生きる」ことの意味だと語る零一。

 

……なんだろうな。俺たちは……

あー、俺たちはっていうか、人ってのはさ

案外、自動的だと思う

俺たちの好みも、性格も、感情も、意識も、元を正せば色んな偶然の積み重ねだ

今は意思を持って自覚的に行動しているつもりでも、それはきっと偶然の産物にすぎない

ひどく自動的だ (零一)

 ふたつの台詞を重ねて読んでいくと、人の意思は自動的に決まってしまうものであるが、そんな自動的な「意思」に従ってやりたいようにすることこそが「生きている」ということなのだ、となります。自由意志というものには懐疑的でありながら、そんなどこから来ているのか分からない、自動的な「意思」を尊重する。全体のテーマとも深く関わる内容です。

 

 

◎セカンドログイン後

 

研究所との戦いを優位に進めていた零一たちだったが、三羽がスカラーの攻撃により窒息状態になってしまう場面。シンカーは三羽を助けるのと引き換えにアペイリアのパスワードを教えるよう要求する。

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しかし三羽は…

人の思考に似せて、人の感情に似せて、意識があるように似せて作った、ただのAIです

だけど、それがなんですか

アペイリアは生きています

生きているって、兄さんが言ったんじゃないですか

忘れないでください

兄さんは変態で、本当におかしくて、アペイリアはAIなのに人間みたいに扱って、ただの機械なのに自分の子供みたいに思ってて

それがわたしには、ちっぽけな……

本当にちっぽけな希望だったんです

アペイリアが生きていることが、わたしの、ただの一つの……(三羽)

三羽は人工子宮の学習機能によって、AIとの交流はしていたものの、三羽自身「ガラス越しの世界」と表現していたように、現実感のないものだったことが窺えます。人工知能であると分かっているものの、自分のことを大切な友達だと言ってくれたアぺイリアは、彼女にとって真の救いだったのでしょう。だから零一にアペイリアも助かる未来を探るよう求めたわけです。

 

終盤の、三羽が研究所を撃つのを躊躇する場面は、このゲームの戦闘シーンで最も熱いものだったと思います。あと一発撃てば研究所を破壊できる。しかしもうコストの残っていない零一の死も同時に招いてしまうかもしれない。余裕だと言う零一の虚勢もすぐに三羽に見破られてしまいます。

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一方零一は、ループから逃れられなくなるかもしれないと語り、三羽に危険を冒してでも研究所を撃つよう頼みます。

 

ここで三羽は、

 

*1

 

3日間だけを死ぬまでループしたって構わない、こう言い切れるのはなかなか凄いですね。裏を返せば相当に三羽はこれまでの人生が退屈で、満たされることのなかったものだったということなのですが。

未来よりも、零一とアペイリアと共に楽しく過ごすという「今」を大事にしたいという希望。これは三羽の意思なのだと言えます。結局のところ、彼らを取り巻く問題は何も解決しておらず、バットエンドとも取れる終わり方なのですが、三羽が「家族」といえるものを手にしたというのは、幸せなことだったのだと思いました。

 

三羽ルートまとめ

 

 

自分の居場所を見失っていた三羽が、零一やアペイリアたちと過ごすことを通じて、自分の居場所を見つける話

 

ところで、このルートはセカンドログイン前の日常シーンが比較的長めに描かれているのですが、なかなか良かったです。アペイリアは現実の体を持ったことで、より零一たちと感覚が近づいていく様子がしっかりと描写されています。急展開の多いゲームだけに、落ち着いた場面の日常シーンは映えると感じました。零一、三羽、アペイリアの3人のほのぼとした雰囲気も悪くないですね。

 

 

ましろルート】

  • あらすじ

VRMMOの事故に巻き込まれて、後遺症のため外に出ることが出来なくなってしまったましろタイムリープ後、零一は事故を回避することで彼女を助けようとする。

 

言いたいことよりも、言いたくない気持ちが強くて、戦いたいことよりも、逃げたい気持ちが強い。臆病で引っ込み思案な自分を嫌っていたましろを、零一が肯定して、元気づける。

 

ましろルートまとめ

臆病な自分を嫌っていたましろが、零一と共に過ごし、元気づけられたことで、自分のことを肯定的に捉えなおす話

 

零一はこのルートを通して、「ありのままの自分で良いんだ」というメッセージを発していました。これは三羽ルートでの、「人の意識は自動的なものだ」という主張と合わせて読むと分かりやすい。自分の思いに従って生きていれば、きっと幸せになれる。自分の認識を尊重するというのは、この作品全体の主張でもあります。

個人的な問題がこのルートの核となっており、他ルートと比べて全体との関係は薄いのですが、その分ましろというキャラクターを描くことに成功していたのではないかと思います。ありふれた展開なのかもしれませんが、1つぐらいこういうルートがあるのも良いな、と思いました。

 

 

【久遠ルート】

※このルートでは、スワンプマンに関する思考実験が出てくるのですが、かなり長くなってしまったため、それについては項を改めて述べます。

 

  • あらすじ

久遠の趣味に対して否定的だった母親:永久子と喧嘩になっていたさなか、母親が久遠の妹を妊娠中に亡くなってしまう。久遠自身妹を望んでいたものの、それをきっかけとして気持ちがすれ違い、さらには妊娠によって母親の死をも招いてしまった。罪悪感に囚われている久遠。タイムリープ後の世界で零一が久遠の母親:永久子の運命を変えることで問題を解決しようとする…

 

 

きょうだいが生まれることをきっかけにした親子の対立というのは、実際にもありますし児童文学などでもよく登場するテーマでもあります。俗なものとしては「お兄ちゃんなんだからしっかりしなさい!」とかそういうヤツです。久遠の場合は、元からあったマンガをめぐる母親との対立があったので、それが大きくなってしまったのでしょう。

 

詳しくは後述しますが、このルートで久遠は、セカンドで久遠の父親:空観のスワンプマンであるブックマンと遭遇します。空観と同じ外見、同じ頭脳なのに自分への気持ちが異なる、そうした存在に出会ったことで、久遠は家族の大切さ、かけがえのなさを実感したのです。

 

ルートの感想としては、もう少し久遠との恋愛の過程を描いて欲しかったなぁという感じでした。幼馴染という設定ですが一切回想シーンもありませんでした。個人的にキャラクターとしては結構好きなだけに残念でした。一方で恋愛感情が芽生えてからの戯れの描写は良かったです。セカンドログイン後の結末は、久遠ルートとしてはハッピーエンドだったかと思います。

 

 

◎久遠ルートまとめ

母親とすれ違っていた久遠が、家族の大切さを再認識し、タイムリープ後の世界で母親と和解する話。

 

 

【アペイリアルート】

  • あらすじ(前半部)

タイムリープ後、02ルームでアペイリアと会い、さらにアペイリアによって仮想空間にログインさせられてそこでも会う零一。

その世界では、三羽は処分され、ましろは事故に遭い、久遠の母親は死ぬ。誰も救われなかった。そして世界規模のシステムダウンが起きる。しかしシンカーとシステム外通信をして、ウイルスプログラムを受け取り、アペイリアがワクチンプログラムを作ると世界はみるみる回復する。

1年間という期限付きで、アペイリアと平穏で幸せな日々を送る。

 

 

電源の入ってないコンピューターに「み つ け た ぞ」は怖すぎますw それでシンカーが応答できてしまうのもすごいですが。

タイムリープの仕組みについて議論する場面は、結末を知ったうえで2周目プレイすると中々面白いです。正直2周目でもよく分からない部分が多いですが、シンカーの多世界説は、デタラメだったとはいえかなり巧妙な説明だったと思います。

この辺りでシンカーはある程度、零一を現実に送り込む道筋が見えていたものと思われます。

 

 

明確な期限が存在するものの、零一はアぺイリアとともに過ごす日々を手に入れたわけです。三羽、ましろ、久遠を助けることは出来なかったのですが、他ヒロインのルートでも、全てのヒロインを助けることはできなかったわけです。そうした意味において、アぺイリアルート前半部は、ヒロイン4人の中からアぺイリアを助けることを選択したという、ごく普通の攻略ルートともいえます。

 

このルートもアぺイリアとの日常描写が素晴らしかったです。仕草がいちいち可愛いのです。

アぺイリアのデレた時の声はなかなか破壊力ありましたね。最序盤のアぺイリアネットワークの機械的な声からの変化を実感します。

 

あと立ち絵が非常に可愛いかったです。

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このポーズ好きです

 

  • あらすじ(後半部)

シンカーから受け取ったウイルスプログラムが実行される前の最後の日、なぜかコンピューターがウイルスに感染する。バックアップを使うと元に戻ったが、パソコンの時間と時計の時間にズレが生じる。そしてふとシンカーのこの世界は多世界だという話を思い出すが、零一はやはり単一世界なのだと気付く。

すると、零一たちとアぺイリアが暮らすファーストに、ウイルスが出現。ふたりはバウンダリーに逃げ込むが、セカンドへのログインはできない。そしてウイルスプログラムが実行され、アペイリアの意識は消滅。零一も自殺し、タイムリープが起こる。

 

・「恋をした」ことの意味

 

ここまでアぺイリアが「恋することができず」、ここにきて初めて「恋をした」というのはどのような変化なのでしょうか。

それまでも同棲しながら、恋人のような行為はしていました。言動からも零一とアペイリアは互いを想っている様子が読み取れます。この状態を恋とは呼ばないなら、どうなったら恋と呼べるのでしょう?

ファーストにウイルスが出現して、二人でバウンダリーに逃げ込んだとき、アペイリアは、シンカーからもらったウイルスプログラムを実行することで零一を助けようとする。

しかし零一はアペイリアが死んだらもうタイムリープしないと考え、可能性が少なくても二人で生き残る道を探すべきだと言う。アペイリアは零一が生きて新しいアペイリアを作ればいいと言う。でも…

お前じゃない。新しいアペイリアなんかいないっ!

俺が守りたいのは、今ここにいるお前だっ!(零一)

 

 

零一はアペイリアに「生きろ」と”命令”する。

しかし、アペイリアは、ここにきて初めて零一の命令を拒否する。

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作成者の命令に従うというAIとしての本分(人間でいう、「理性」に置き換えると分かりやすい)よりも、零一の命そのものを優先したという、アペイリアの中での価値転換。これが「恋をした」と呼ぶにふさわしい変化なのではないでしょうか。理性で抗えない激情、これこそが「恋」の本質なのです。

 

 

 

 

【「自我」とは】

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偶然にも、自我のあるAI : アペイリアの開発に成功した零一

まぁ、我々の常識からすると「自我の存在を感じている」AIが出現しても十中八九誰か人間によってプログラムされたイタズラだと思いそうですが……零一たちのいるファーストでも、表向きには「機械知性の法則」があることになっていたようですし…

自我の存在を感じているとは主張するものの、具体的な感情はまだ知らないアぺイリア。ではここでいう自我とは一体どのようなものなのでしょうか?

厳密に定義するのは難しいかと思いますが、平たく言えば「意識」のことです。まず意識が宿り、そこから様々な感情を知っていくことになるアぺイリア。これらの感情を束ねるのが彼女の意識・自我と言えます。

比喩的な表現をすれば、「感情・思考の器」というところでしょうか。

自我は自分以外のものと区別されることによって生じるとも言えます。先ほど「器」と書きましたが、器には内部のものを留め置くだけでなく、外部のものから遮断するという役割も担っているというわけです。

 

話をアペイリアに戻しましょう。

アぺイリアの行動パターンを分析してみます。

  • アペイリアの作成者である、零一の命令には必ず従う。
  • 零一と他のヒロインたちの幸せを常に願い、彼らを喜ばせようとする。
  • 零一たちとできるだけ一緒にいることを望む。

一番目は作成されたときから一貫して変わらないので、AIとしての本能的側面と言えます。

二番目について、アぺイリアルート以外の個別ルートでは、アぺイリアは零一たちと行動を共にしながら、それぞれのヒロインとの恋を応援していました。そして、自ら「オーナーの幸せがアぺイリアの幸せです」と言っています。これはなぜでしょうか。本能的にAIは自らを作った存在に報いようとするものだ、という解釈もできますが、これはあくまで命令を受けたときのみで、「幸せを願う」という漠然とした部分にこの考え方を適用するのはやや無理がある気がします。(零一が「俺を幸せにしろ」とか命令したわけではないでしょうし) むしろ、アぺイリアが自分の行動の評価について零一たちによく訊ねていることから、『彼らの喜ぶ姿が見たいから』という、ある意味非常に人間的な答えが説得力を持つと思います。もっともこれを「零一たちの+感情の発露の最大化を目指す」というアぺイリアの本能なのだと捉えてしまえば味気なくなりますが。

三番目。これは結構重要です。アペイリアの最も顕在的な望みとして描かれています。

人間ならば、仲の良い人や好きな人と共にいたいというのはかなり自然な感情ですが、AIでもこうした望みを抱くというのはなかなかに新鮮な感じがします。ある種の恋愛観のもとでは、こうした望みの延長線上に恋があるとも言えます。(この作品における「恋」はもっと激しい感情を指している気がしますが)

零一たちとできるだけ気持ちを共有したいという、アぺイリアの望みが窺えます。こうしたことからも、自我というのは周囲との交流から形成されていくことがわかります。

物語が進むにつれてアぺイリアは様々な経験を積み、たくさんの感情を知っていきます。無垢な状態からのアぺイリアの精神的成長というのは作品全体のひとつの大きな流れだと言えるでしょう。

 

・人間とプログラム(AI)の違いとは

一般論としては、遺伝子の有無、自我や感情の有無、などが挙げられることが多いです。ですが、アペイリアは遺伝子と呼べるような生体情報を持っているようですし、自我や感情を持ったAIとして描かれています。

そういった面からの区別ができないとなると、人間とAIに本質的な差異を認めるのは困難でしょう。

当作品においてアペイリアは、完全に人間として描かれていると言えます。

 

さて、本作品では、ここに新たな視点を提示しています。

人間とAIという対立軸を考えるのではなく、心を持った”ヒト”として扱われるものと、心を持たない”モノ”として扱われるもの、という対比をしているのです。

 

この観点から、アペイリアと対照的な存在となるのが、アペイリアネットワークです。

アペイリアの凄まじい知能と処理能力は、その多くがアペイリアネットワークによるものです。しかし、そのネットワークそのものに対して、アペイリアを含めてこの作中の人々は自我があるとは思っていません。そのため、あくまでアペイリアの手足として動くのみの、プログラムの域を出ないのでしょう。

 

また、「ウイルス」も同じ立ち位置にあります。こちらはアペイリアネットワークとは異なり、セカンドにて見える姿となって登場します。そして、タイムリープする度に新たな攻撃パターンを繰り出したり、新たな種類のものが増えたりします。ウイルス全体として考えれば、なかなかに高度な思考をしているとも考えられます。実際、ウイルスを作っているのは現実世界の科学者だったわけですから、ある意味彼らが管理者としての立場を利用して、ウイルスという形でログインしていたと見ることもできます。

しかし、こちらも明らかに自我のある存在という扱いは受けていないです。

 

このように、”人間”と”AI”の本質的な差異はなく、他者から自我のある存在と見られるかどうかという対立軸だけが存在する。そこに人間もAIも関係ない、ということです。つまりは自我というのはある意味空想に過ぎず、あると思えばある、ないと思えばない、そんなものなのです。

「観測されることによって確定する」という言葉は、実はこういうことを表しているのかもしれません。ウイルスは量子だという一見よく分からない設定も、自我のないプログラムとして理解されていることの強調、とも考えられます。

別の言い方をすれば、「観測」に依存しない理解ができたならば、その対象に自我があると認識したことになるのではないでしょうか。

 

 

【スワンプマンの思考実験と意識の同一性】

 久遠ルートにて、遺伝子研究所で議論する零一と空観。

 

・人の心はどこにあるのか?

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「人の心はDNAにある」と主張する空観

彼はまた、DNAをコピーすることでその人を完全に再現できるかもしれない、そしてそれが可能ならば死んだ人間を生き返らせられる、とまで言っています。かなり極端な唯物論( 観念や精神、心などの根底には物質があると考え、それを重視する考え方)的な考え方だと言えるでしょう。

 

たとえ一卵性の双子でも、クローンでも、成長過程において、DNAは変異する。まったく同一にはならない。

その変異の一部は、心が変化しているからではないかと僕は思っているわけだ。

 

彼女の脳からDNAを採取しても、彼女と完全に同一のクローンを作ることはできない。

DNAのごく一部は変異してしまうだろうし、彼女の記憶が存在しない。

しかし、それはクローン技術の精度が足りないだけで、彼女を生き返らせることが不可能だということを意味しない。(空観)

 

心の状態、心の変化すらも究極的にはDNA等の情報だけで記述できてしまうと語る空観。人間の意識や有機生命を自然の物質に還元し、全て力学的な法則によって説明しようとする立場は、機械論的唯物論と呼ばれます。

かなり極論な気もしますが、個人的にこういう考え方はちょっと好きです。

これに対して、零一は完全な精度で心を情報で表すことは不可能だと言います。

この場ではひとしきり議論した後、空観ははっと我に返ったかのように零一の主張に同意し、遺伝子研究所を後にします。

 

 

スワンプマンについて

前述の議論の中で、空観がスワンプマンの思考実験について切り出します。

 

☆スワンプマンとは?

ある男がハイキングに出かける。道中、この男は不運にも沼のそばで、突然雷に打たれて死んでしまう。その時、もうひとつ別の雷が、すぐそばの沼へと落ちた。なんという偶然か、この落雷は沼の汚泥と化学反応を引き起こし、死んだ男と全く同一、同質形状の生成物を生み出してしまう。

この落雷によって生まれた新しい存在のことを、スワンプマン(沼男)と言う。スワンプマンは原子レベルで、死ぬ直前の男と全く同一の構造を呈しており、見かけも全く同一である。もちろん脳の状態(落雷によって死んだ男の生前の脳の状態)も完全なるコピーであることから、記憶も知識も全く同一であるように見える。沼を後にしたスワンプマンは、死ぬ直前の男の姿でスタスタと街に帰っていく。そして死んだ男がかつて住んでいた部屋のドアを開け、死んだ男の家族に電話をし、死んだ男が読んでいた本の続きを読みふけりながら、眠りにつく。そして翌朝、死んだ男が通っていた職場へと出勤していく。(以上wikipediaより引用)

 

さて、二人の主張を整理しておきます。

 

  • 空観の主張

物理的に完全に同一である。つまり、外見も性格も、そして記憶も同一である。よってスワンプマンと元の男も同一である。

スワンプマンと男の意識は同一人物のものだ。そして、二つ存在する。なんの矛盾もしないよ。なぜなら、まったく同一であるならば、彼らは同時に同じことを考えるからだ。寸分違わずにね。

スワンプマンと死んだ男の意識は同期していると言える(空観)

 

  • 零一の主張

スワンプマンと死んだ男は同一の意識を持っていません。他の人間からはまったく同じに見えるだけの別人です。

元の男はオリジナルで、スワンプマンはコピーです。これが決定的な差異になるはずです。

スワンプマンと元の男は同一の意識を持っているとは言えない。

私とは私の「心」であるとするのでスワンプマンは別人である。

 

この二つの主張は、それぞれ物理主義と観念主義と呼ばれています。対立する二つの主張ですが、当作品ではこの後に、アぺイリアによって第三の立場である「歴史主義」の見方が提示されます。

 

 

・スワンプマンの選択:ブックマン

久遠ルートにて、ブックマンは空観のスワンプマンであることが判明する。

彼は永久子の脳をデータ化することで生き返らせようとしていた。そしてそのためにアペイリアに脳をデータ化するよう要求する。零一たちは拒絶する。

脳のデータ化によって母親が生き返るという主張に納得しない久遠に、久遠自身の脳も機械化するよう勧めるブックマン。

そして彼は久遠にこう言う。

久遠、僕はね、君のそんなところを見ていると、彼女を思い出すんだ

彼女が間違えたことを。僕が救えなかったことを。

それを何度でも思い出させてくれる君が、何度も、何度も繰り返し教えてくれる君が

僕は憎くて仕方がなかった(ブックマン)

ところが、空観に電話をかけて、久遠を憎んでいたか尋ねると…

 ……久遠はお母さんによく似ているよ。君と話していると彼女のことを思い出す

彼女が間違えたことを。僕が救えなかったことを。

それを何度でも思い出させてくれる君が、何度も、何度も繰り返し教えてくれる君が

僕は愛おしくて仕方がない(空観)

彼らはもともと思考の状態を含めて完全に同一だったはずです。スワンプマンなのですから。しかしながら、ファーストにいる空観とセカンドにいるブックマンでは、その後の経験は同じではないはずです。その差によって、久遠に対する態度に違いが生じたのだと言えます。

 

悩めるブックマン

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 零一の答えは…

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言い切りました。零一かっこいいですね。もっとも、スワンプマンの立場になって同じことを言えるのかはまた別ですが…

その後、悩みながらも自ら消滅することを選んだブックマン。

零一の説得によるもの、というよりは、久遠に自分を父親だと認識してもらえず、自分を見失ったため、というところだと思います。

同じ体、同じ頭脳を持っていても、スワンプマンとして分離した後の人生が異なっている以上、別の人物となるのは避けられなかった。ブックマンはある種の生きる意味を失ってしまったので、自らの消滅すなわち自殺を選択したのでしょう。

 

・スワンプマンの選択:シンカー
  • シンカーシステムとは?

ファーストの人間型AI一空観によって開発された、脳とAIを意識レベルで繋ぐシステム。これによって現実の脳を持ちながら、その性能を凌駕した処理が可能になるという。

  • シンカー

 セカンドで生まれた、零一の記憶を持った人工知能。零一のスワンプマン。

 

ファーストにてアぺイリアが出現し、それを消去するためファーストがループに入ったとき、零一・アペイリア・シンカーシステムが接続してアペイリアを消去した。が、アペイリアネットワークの働きで実は消去できておらず、その副産物としてシンカーが零一の記憶を持ってセカンドに生まれた。

作中の説明によるとおそらくこういった経緯だと思いますが、自分も完全に時系列を整理できているわけではないためはっきりしたことは言えないです。ごめんなさい。

 

さて、シンカーが零一のスワンプマンであることは、アペイリアルート終盤で明らかになります。二人はユグドラシルにて最後の決戦をすることになります。

 

同じ体、同じ記憶、同じDNAを持っていても、アペイリアだけは私と君を明確に識別する。

彼女の意識さえ書き換えれば、私は桐島零一になれる。

今度は君がスワンプマンになる番だ(シンカー)

零一を倒し、アペイリアの認識も書き換えてしまうことで、零一に成り代わろうとするシンカー。

 

コピーされたのは私なのか、君なのか。確かめる術はない。

コピーされた意識が今の君の体に入り、オリジナルの方がデジタル世界に放り出されたのかもしれない。

そうでないとなぜ言い切れる?(シンカー)

これに対して零一は反論できません。そんなことはもはや確かめようがないのです。ここまで来ると、「オリジナル」と「コピー」の区別も曖昧になってきます。

 

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ここで言う「君ならば」というのは、君=零一の人格 がシンカーとしてセカンドにて生まれたならば、ということでしょう。しかし、セカンドにてスワンプマンとして生まれたならば、それは既に零一ではないでしょう。IFの話に意味はないんですね。零一もこれに関して何も言い返すことができません。この問いには、シンカーの零一への精一杯の皮肉が表れています。「スワンプマンは潔く消えるべきだ」という零一の言葉は、零一の立場だから言える、傲慢な綺麗事に過ぎないんですね。

そう、忘れようと思ったんだ、私は

古い偽物の記憶は、なにもかも

 

私は私になれなかった、哀れで愚かな模造品だ

”スワンプマンは生まれてくるべきじゃない”

”俺なら潔く消える。彼女たちを守るために”

”大切なものを、守るために”

ああ……本当に、ずいぶんと都合のいいことを言ったものだ

私は、彼になりたかった。

だが、彼になるということは、そういうことだった(シンカー)

うーん。シンカーの苦悩が読み取れますね。結局、本当に零一になるのを望む限り、自分は消えなければならない運命にあるので… 

悩みながらも、最終的には自分が生き残るのを諦めることを選択したシンカー。

シンカーは最終的には零一を現実世界に送り込むことに成功した代償として、自身は消えてしまった形ですが、それは最後の決戦で敗れたので仕方なかったのでしょう…

シンカーがもしアペイリアの意識を書き換えることに成功していたら……(以下略)

 

 

・スワンプマンについて:まとめ

分離後の人生の違いによる記憶や心の変化の違いといったものが、オリジナルとスワンプマンの違いを内側から規定するものであるのに対して、他者からの認識の違いというのは、オリジナルとスワンプマンの違いを外側から規定するものだと言えます。

 

ある個人を内側から規定するものとしての、分離後の記憶・心の変化の違いは、オリジナルとスワンプマンの関係性としてみたときに、双方が対称なものだと言えます。両者が自らの記憶、経験を「私」のものだと思うことに関して違いはないからです。しかし、外側から規定するものとしての、他者からの認識というのは対称ではない。久遠が空観の方を父親だと思ったように、あるいはアぺイリアが零一の方に恋をしたように、他者からの認識というのは対称にはならないのです。ブックマンは久遠の幸せを願い、シンカーはアぺイリアを手に入れることを望んだ。しかし久遠と、アぺイリアと、一緒にいることのなかった彼らは、やがて彼女らとの気持ちが離れていった。セカンドで生まれた彼らは、ファーストで生きる者とは次第にすれ違いゆく運命にあるわけです。

 

なお、ここで重要なのは、彼らがスワンプマンだから必ずしも望みを果たせないわけではないという点です。作中ではアぺイリアがブックマンにこんな発言をしています。

ブックマンはブックマンの目的を探すべきだとアペイリアは思います。(アペイリア)

スワンプマンは消えるべきだという零一とは大きく異なった主張ですね。ブックマンは空観として生きることはできない。しかしブックマンは彼なりに生きる意味を見出すことはできる、ということです。もっとも、ブックマンは空観の記憶を捨てて新たな道を進むことはできませんでしたが…

 

アぺイリアの主張は、歴史主義的なものだと思われます。歴史主義とは、人間生活のあらゆる現象を、物理的な時間・空間の概念とは別にある、客観的な精神である歴史的な流れのうちにおいて、その生成と発展とを捉えなければならないとする主張です。(以上wikipediaより、一部表現を変えた)

観念主義の立場では、意識の分裂が起きた際、どちらか一方が<私>であるという主張なので、オリジナルとコピーは非対称なものだということになります。

一方、アぺイリアの主張する、歴史主義の立場では、単に個体の歴史的な流れの差異から、二つの意識は同一でないと主張します。つまり、オリジナルとコピーの区別に関しては必ずしも主張しているわけではなく、二つの意識は異なるが互いに対称な関係にあるということなります。

 

スワンプマンの例えを使ってみます。

元男が死に、スワンプマンが社会的に元男として生きるようになってしばらくしてから、何らかのきっかけで元の男が生き返ったとします。こうなったとき、もはやスワンプマンの方が元男として認識されていて、本物の方がコピーの立場に置かれてしまうかもしれません。シンカーの発言はこのことを示唆しています。「オリジナル」と「コピー」という非対称性はないという主張です。

 

余談ですが、スワンプマンの思考実験を考案したドナルド・デイヴィッドソンは、唯物論者なのですが、歴史主義を支持していたそうです。

 

 

【ラストについて】

・終盤の一騎打ちから零一が現実へ転移したことについて

……くくくっ……くっくっく……

いや、なに、大したことではないよ。

ただここには、エンクロージャーとシンカーシステム、そしてアペイリアが揃っていると思っただけだ(シンカー)

この台詞、初見時は全く理解できませんでした。いや、今でもよく解ってないです。とりあえず、考察として考えられることを書いておきます。

セカンドのエンクロージャーは、サードのエクストラステージへログインできる、いわば現実への架け橋のような存在です。

そしてシンカーシステムはAIと意識を繋ぐことができるほか、セカンドの外にある程度干渉できる存在として書かれています。現実世界と関わりながら、タイムリープには関心がなく、ただ零一に成り代わろうとする素振りだけを見せる裏で、隙を伺っていたわけです。

 

零一がシンカーを絶剣で刺したことで、零一と、アペイリアと接続中のシンカーが繋がり、零一が特権的な権限を握ることに成功する。そしてエンクロージャーによって彼は現実に送られる。管理システムを突破した彼らは、その力によってヒロインたちと共にクローンとして偽装し、現実世界で生きることになった。

 

このような経緯でしょうか?セカンドのセキュリティを突破する形だったのは間違いないです。

 

・「この現実を嘘で塗り替えてでも」

零一がセカンドから現実に転移した後、三羽からファーストの仕組みについて聞く。零一を殺す役目を与えられていた三羽だったが、零一を殺すことはできなかった…

三羽は、ある種の裏切りを演じたわけです。なぜここで裏切ることに決めたのかについてですが、やはり零一が現実世界に来ることができて、彼らとの未来が見えてきたというのが大きいでしょう。詳しく語られていないので想像になってしまいますが、その前にもうまく現実世界の人々を欺くチャンスはあったものの、本当に成功するのか、本当に「嘘の世界」を選択するべきなのか、などと悩み、決めかねていたのだと思います。

シンカーと同様に、判断を引き延ばしてきた部分はありそうです。

 

わたしは、ずっと繰り返していたかったんです……

ずっと、兄さんと一緒に

あの嘘に溢れた優しい世界で(三羽)

三羽にとっては、タイムリープのたった数日を「繰り返す」だけでも満足だった。そのことが余計彼女を悩ませていたのかもしれません。しかし、現実に零一が現れたため、彼を殺すのかどうかという決断を迫られたわけです。

 

この世界が、この現実が、お前にとって歪で優しくないと言うなら、

俺がぜんぶ滅ぼしてやる。

人間がお前を不幸にする存在でしかないなら、なにもかも滅びてしまえばいい(零一)

 零一の強い覚悟が窺える言葉ですね。しかし三羽は、

……わたしが、欲しいのは、そんな、大それたことじゃないんです……

兄さんとアペイリアと本当の家族になって

ましろや久遠先輩ともう一度出会って

みんなで一緒に、仲良く、楽しく、学校に通ってみたりとか

そんな夢みたいなことが、わたしはしたかったんです……

当たり前の、学生みたいな……人間みたいなことが……(三羽)

三羽が望んだのは、ごく普通の日常、その中にある幸せでした。クローン体という弱い立場で、生きるためにファーストで汚い仕事をすることを余儀なくされていた三羽。自らの運命に対する憤りや、現実の人々への嫌悪を、ごく普通な幸せを掴むことで乗り越えようとするわけです。「嘘の世界」を実現できるならば、特に世界をそれ以上作り替えることはしなかったのも、ありふれた日常への切望を表しています。

零一や三羽がしていることは明らかに人類への反抗なのですが、あくまで目的は幸せになることであり、それが叶えばさらなる変革は求めない、という姿勢でした。このことからも、零一や三羽が、世界を本当の意味で肯定することができたのだと分かります。

こうして非日常的で特殊な世界観、物語の中で、普遍的・日常的な「幸せ」というものを見つけるという、作品全体のテーマが見えてきます。

 

”技術的特異点”という言葉が何度も出てきますが、本当の意味でAIが自我というものを持ったときに彼らが望むのは、人類を滅ぼして世界を作り替える、などではなくもっと個人的な小さな幸せなのかもしれませんね。

自らの意識を持つことで、定められた使命から独立したら、彼らはもう人間に関心を持つ必要もなくなるのでしょう。

 

まぁ、「AIの本当の脅威は、人間に敵対することではない。人間に無関心になることだ。」なんて言葉もありますし、本当の意味で人間とAIが協調できるかは別問題ですが。しかし零一とアぺイリアがそうしたように、相手を心を持った存在として認識し、気持ちを通じ合わせようと努めることで、 共に歩んでいけるのかもしれない、そんなことを思いました。

 

 

・最後の干渉渦が消える描写について

エンディングテーマが流れた後、観測箱の干渉渦が消えるシーンがあり、物語はそこで終了します。干渉渦が消えるということは、何者かによる観測を受けていることを示唆するものと思われますが、その新たな「観測者」とは何なのでしょうか?思いついた仮説をまとめてみます。

 

  • 1. プレイヤー

そもそもこれは物語であり、画面の前にはプレイヤーがいて、作中の世界を見つめているはずです。メタ的な部分を最後に持ってきたという解釈です。

しかしながら、プレイヤーの観測が作品世界に干渉するということならば、常に干渉渦が消えているはずなのでは?と思います。最後にいきなりその設定が崩れるというのは少々整合性が取れない気がします。

 

  • 2. さらに上位の世界

最後に辿り着いた現実もまた仮想空間であり、さらに上位の世界から監視を受けているという仮説です。シュミレーション仮説ですね。細かく言えば、三羽も本当の現実世界の住人でないとするもの、または三羽によってファーストとは別の仮想世界に連れてこられたとするもの、などが考えられます。

あるいは、零一たちが最後にたどり着いた世界は確かに現実世界だったものの、その世界の内部から常に監視されているというのもあり得るでしょう。まぁそこら辺の設定はあまり重要ではない気がしますが…

 

  •  3. セカンド

セカンドのエンクロージャーからは、サードのエクストラステージすなわち現実世界へログインすることが可能でした。現実世界からファーストを監視できるように、ファーストやセカンドから現実を監視、干渉することもできるのかもしれません。

仮にそうならば、作中の説明であったような世界ごとの明確な上下関係はなく、ある意味で世界どうしの関係は対称なものだと言えます。

これはシンカーシステム辺りと関連性が高そうですね。世界ごとの干渉とかもう訳が分かりませんけど。こうなってくると「人間」と「AI」の区別も怪しいもので、実はファーストの住人がセカンドを通して「現実世界」なるものをコントロールしている、なんてこともあり得るかもしれないです。

 

この作品には、人間/AI、オリジナル/コピー、といった対比が軸としてあります。これらの対比が、それぞれの本質的な差異を否定する形で破壊された点を考えると、最終的に 現実世界/仮想世界 という対比も対称なものだと帰結するのが、流れに沿っているように思います。本記事では3番目の仮説を支持することにします。

 

 

【まとめ】

 ・物語全体の構造についてあれこれ

個別ルートは、いずれも悩みや自己の揺らぎを抱えたヒロインが、零一や他ヒロインとの交流を通して、自分とその居場所を肯定的に捉えなおす、という構成になっています。

これがTRUEエンドとしての性格を持つアぺイリアルートでは、皆でファーストから抜け出し、クローンとして存在を偽装したうえで、零一とヒロイン4人のハーレムを形成してみんなで幸せを掴む、というものになります。まぁここにはエロゲとしてのご都合主義的側面があるのは否めません。しかし零一とヒロイン4人が自らの居場所を見つけ、それを肯定的に見つめることができたという点で、この結末はハッピーエンドと言えるのではないでしょうか。

そのルートのヒロイン以外は救われることがない、という側面を持つ個別ルートを経てからの、ヒロイン全員が救われるTRUEエンドというのは、話の流れに沿った結末だという見方もできます。

この終わり方は賛否が分かれているようですが、個人的には、予想を裏切るという意味での面白さと、作品全体の流れを両立させたという点で、非常に完成度の高いものだと感じました。

 

***

自我の同一性への疑いという問題から出発した「景の海のアぺイリア」。

物語を通して、作品世界についてひたすらあり得る仮説を展開しては、その議論を壊していく、というのが繰り返される。そして、最終ルートにてそれらのミスリードを全てひっくり返したのち、ラストでも意味深な描写が。

この作品はまさに「予想・仮説」を破壊していく物語なのである。

 

抽象レベルでは、冒頭にて意識の連続性に対する疑問、三羽ルートにて人間の自由意志への懐疑が語られる。二人のスワンプマンが登場し、オリジナルとコピーという対比を描くが、その議論をしていた者は皆AIであったと明かされる。

そして最終盤には、彼らがいた世界そのものがある意味否定されてしまう。

これで最後に残るものとは何か?

それこそが「景」、そこで自分が感じた全て、そういったものではないだろうか。

 

この世界は仕組まれていた「嘘」で、自分の意思も何か自動的なものかもしれない。しかし、それでも過ごした時間は、感じた幸せは、確かにあったはずだ。

客観的事実でも主観的観念でもなく、ただそこにあった「景」。

「交わした言葉とこぼれた笑顔だけは、なにものにも代え難く、たった1つの、大切な、大切な、俺たちの現実だった」

 

 

 

 

【あとがき・感想】

お疲れさまでした。色々書いていたらかなり長くなってしまいました。

プレイし終えたのが10月中旬だったので、一ヵ月弱かかった計算でしょうか。長く複雑な物語ゆえ、ストーリーを整理するだけでも大変だった記憶があります。

 

”技術的特異点”の先にある風景、日常を肯定的に描いた本作は、SFとして見ても意欲的な作品になっていると思いました。

未来を描くことで、いまを相対化して見つめるというのはSFの醍醐味でしょう。

このような考察し甲斐のある面白い作品に出会えたことをうれしく思っています。

 

それでは、今回はこの辺で。質問、意見、指摘など、コメントお待ちしております。

 

 

【参考】(※11/22追記)

 ・他ブログ様の「景の海のアぺイリア」に関する記事

 

【プレイ感想】景の海のアぺイリア 感想-批評 /落単大学生のエロゲにっき

http://lamsakeerog.hatenadiary.jp/entry/2018/03/21/200101

 

景の海のアぺイリア感想 /エロゲ感考おきば

https://blog.goo.ne.jp/eroge_kan-kou/e/55c2ea744963755dded675079cac2097

 

景の海のアペイリア 感想 ―<わたし>の在り処— (4914文字) /古明堂

http://koyayoi.hatenablog.com/entry/2019/09/29/160416

 

 

・その他

 

心の哲学まとめwiki

https://w.atwiki.jp/p_mind/

 

「スワンプマンを抱きしめて」ー前田高弘

http://pssj.info/program/program_data/36ws/maeda.pdf

*1:

……ほんの3日間だけでしたけど、兄さんとアペイリアと3人で暮らして、すごく楽しくて……

わたしは、幸せだったんです……

本当に、ままごとみたいでしたけど、初めて手に入れた家族だったんです……

だから……

未来なんて、いりません。兄さんがいないかもしれない未来なんて、わたしは嫌です……

繰り返すだけでも、いいじゃないですか。