15周年記念!【彼女たちの流儀】を語りたい。
2006年6月23日に130cmより発売された美少女ゲーム「彼女たちの流儀」
本日で15周年ということで、「彼女たち」にいま思っていることを徒然なるままに綴っていきたいと思います。
※最初から最後まで重大なネタバレ有り。
これからプレイする予定の方の閲覧は自己責任で
◎目次
【ヒロイン各論】
花葉千佐都
苗字のイメージの通り、自然の力強さを感じさせる合気道師範代。
あらゆる「倒錯」にまみれたカノギの世界観から最も遠い位置にいるヒロイン。
個人的に、なかなか印象に残ってるキャラです。たとえ負ける可能性が高くても、目的に対して正面から戦い抜く。他ヒロインが良くも悪くも厄介な娘揃いのなかで、あまりにも、残酷なほどに真っ直ぐな態度。
とにかく胡太郎を手に入れる、そのためなら手段は選ばない。狭義の合気道”勝負”では、鳥羽莉の吸血鬼パワーでねじ伏せられたが、戦略的裏切りによって胡太郎の文化祭を我が物とする。
千佐都と鳥羽莉と胡太郎。曖昧な三角関係
かつては”ただの”幼馴染であった3人。転化を機に人間である二人と断絶した鳥羽莉。一足早く想いを行動に変えた千佐都。そして、曖昧な三角関係がこのまま続くことを願った胡太郎。
「まぶしくて、あかるくて、少し……うしろめたい」
千佐都と結ばれた結末後のこの台詞(ト書き)に、胡太郎の心情は集約されている。鳥羽莉という絶対的な存在から一定の解放を得て、同時に大きな引け目を負った。
3人の関係は三角形になぞらえて描写されるが、結局のところ、真に取り残されていたのは、胡太郎だった。
人の気持ちは変わる。『好き』だって、例外じゃない。
でも、それでいいんだ。あたしたちは神様じゃない。無限の愛は持ってない。
3人の保護者的な立ち位置の火乃香による「赦し」で千佐都の物語は幕を閉じる。
***
それにしても、千佐都と鳥羽莉の”勝負”から一気に文化祭に飛んだところで違和感を覚えたのは自分だけではないと思う。文化祭のクラス展示を仕切り、演劇部とも通じている朱音の存在が見え隠れするところだが、これは一つの解釈ということで。
秋名涼月
また、重くなっちゃったわね。
これじゃ、飛べない。
世界の”重さ”、人間の生々しさを激しく嫌悪し、それらから解放された存在――夕焼け、人形、そして吸血鬼——に憧れる少女、涼月。
……いいよね。身体は、素直で
生々しさを嫌っているはずの涼月であるが、性に関してはあまりにも貪欲一直線。心でどれだけ生理的なものを嫌悪していても、性の快楽は心の文脈を無視して現れる。
涼月がかつて兄から性的虐待を受けていたことが示唆されていることもあり、反動的な執着?とも考えられる。要検討。
胡太郎をノリコとして女装させ、女の子どうしのデートを楽しむ涼月。せせりに加えてノリコという、友情も性も満たせる都合の良い存在を、涼月は必要としていた。
世界を「大嫌い」な涼月は、胡太郎に「世界で3番目に嫌いじゃない」と嘯く。
それは決して好意ではなく、無関心ではもちろんなく、あえて言うなら「受容」。
涼月の美しさに囚われた胡太郎はすでに彼女の手の内。制御できない肉体を嫌う涼月の「嫌いじゃない」というのは、胡太郎への勝利宣言でもある。
単純だね、ウサギ。
やっぱり、あんたなんて大嫌い。
難儀な涼月と違い、このルートでの胡太郎はあまりにもまっすぐな想いで、涼月を好きだと言う。せせりルートでの胡太郎、せせりの関係性が逆になったようでもある。
自分のなかの生々しさの代表である”生理”を特に激しく嫌悪していた涼月は、男である胡太郎を女装させて性的に利用することを通して、快楽を与えてくれるものとして自身の性を捉えなおすことができた。そこには胡太郎の人格的な面は介在せず、ただ涼月の一人劇があるのみだった。
***
それにしても、永遠に憧れる涼月は本当に美しい。
仮にそれが、吸血鬼として永遠を課された者たちと比べてどれだけ薄っぺらいものだったとしても。
いかにも近寄り難い印象のキャラクターだが、ある意味で親近感を覚えるのは、吸血鬼という永遠性を秘めた存在に一面では憧れつつ、一方で下に見ているという身勝手な二面性が、物語の傍観者の私たちと重なるからか。
(涼月に魅力を感じたプレイヤーも、この難儀な少女と現実に付き合ってみたいか?と問われたら………ただ「好き」と言う胡太郎の純粋さを持つのも簡単なことではない)
虚構に溺れたいお年頃。涼月、そしてアルクラのような慧眼だけでも早く持ちたい。
由希せせり
空気のような少女だ。最初にプレイしたときの感想である。
演劇部のなかでは裏方に徹し、胡太郎への熱烈なラブコールは基本的にスルーされる。この扱いは消極的な仲間外れ、あるいは”いじめ”という言葉すらも想起させる。しかしこのことは一切掘り下げられず、本人も気に病む様子は皆無。これは一体どうしたことだろう。
せせりはこの「彼女たちの流儀」を最初から始めたとき、胡太郎に最初に話しかけ、告白するヒロインでもある。好感度は常時MAX。だけど共通ルート通して恋の予感を感じさせるものは、(胡太郎にとって)皆無。
そんな彼女がいつのまにか胡太郎を支配してしまう、それがせせりの流儀。レミューリアを夜空に演じることからも分かるように、せせりもまた演技者である。
『好き』――なんて言えなかった。だけど『好きじゃない』――っていうのも嘘だった。
だから、『わからない』――。
曖昧な好意。溢れだすせせりの”好き”を、胡太郎はどう受け止めてるべきか迷っていることが伺える。せせりの直情的行動と対比すると、胡太郎の受け止め方はあまりに曖昧。だが、それが普通の人間という気もする。
ボクはあの窓の外にある木の上にネコさんと並んで、あ、ボクもネコさんなんですけど、並んで座って、学校から帰る制服のうしろ姿を眺めていました。
ネコさんの夢を見なくなった頃、白銀先輩が先輩をここに連れてきてくれたんです。
「ネコさん」はナイトの暗喩だろうか? 吸血鬼の為に働くというナイトの役割を考えれば、せせりの恋は白銀姉妹から派生しているのか……?
***
この地に足の付かない浮遊感は多分に意図的なものでしょう。聴いているうちにどことなく不安になってくる、明らかに不安定なキャラクターボイスも、せせりという少女の虚構性を十二分に表現していました。
全ルートの中でも、最も読み込むことが出来なかったルートであり、ヒロインでした。ヒントが少ないので明確に語るのは難しいですが、この独特の空虚さを秘めたせせりには妙に惹かれるところもあります。
※みやま零氏の同人媒体で、せせりに関する裏設定が明かされています。とは言えそれは「書けなかったシナリオ」であり、実際に出されたせせりルートとはかなり異なるものでした。せせりにかけられるリソースが少ないなかで、明かされる情報自体を減らし、読者に解釈を委ねたとも取れます。
白銀鳥羽莉
白銀鳥羽莉。言うまでもなく本作のメインヒロインであり、どのルートにおいても、胡太郎の前に影のように立ちはだかる。吸血鬼としての運命を憎み、悲哀を体現するヒロインでもある。
私が本当に耐えられなかったのは、
胡太郎が私から離れて――
私の手の届かないところへ行ってしまう事……
世の中には、確かなものなんて何もない
一見すると吸血鬼と人間の時間的な断絶を表した台詞。だが、この台詞は反転させて考えることもできる。鳥羽莉自身、胡太郎への想いをずっと保っていられる保証はどこにもないのである。二人の演劇の成功という、輝かしい思い出があれば十分だと信じ込もうとしているが、イギリスに行ってからも、胡太郎から連絡が来る度に心は揺れ動いてしまう。生きている以上、関係性の更新は続くのだ。
それは……怖いよ。僕が先に飽きられるってことは、僕はまだ満月が好きだって事だからね。
でも、そのリスクは相手も同じなんだ。僕が怖ければ、相手も怖い。
恋はひとりじゃない。ふたりでするものだから。おっかなびっくり、ね(クレイブ)
鳥羽莉が持たないものを持つのが、鳥羽莉の伯母:満月とクレイブの関係である。人間だろうと吸血鬼だろうと、相手を失うことが恐ろしいのは同じである、永遠を求めてしまう鳥羽莉の傲慢さを指摘する。
遂には自死まで図った鳥羽莉に与えられる選択肢は二つ。
一つは吸血鬼のまま、光の速さで終わってく人間との関係のなかで、永遠に戦い続けること。そしてもう一つは、ナイトと同化して、永遠に寂しさを耐えること。
しかし、鳥羽莉ルート本編で選んだ道は、そのどちらでもない第3の道。
すなわち、判断を先延ばしにするということ。15年の猶予を鳥羽莉は選んだ。
どちらの可能性も残しておくという煮え切らなさ、迷い、執着。
だが、実に人間らしい。
そして15年経って、鳥羽莉は……
戦うことは、つらいよ。
でも、できないことじゃないって、思えるようになったから。
今度は、少しだけ強くなったと思う。
変われなくたって、やってやるって、決めたんだ。
ねぇ、聞いて。わたし、私はね——
***
もうね、好きです。ここまで完成された再会劇に、付け加えるべき言葉はありません。
そういえば、鳥羽莉の時代劇好き、あれは何だったんでしょう。
あなたは正義の志というものを感じないの? 胡太郎
何の警察権も持たない老中が、自らの身一つで密偵となって巨悪に戦いを挑んでいるのよ。
彼は政局の中心にいる人間としての視点。
普段潜り込む市井の人間としての視点。
そして影に生きる密偵としての視点をもって、疲弊した政治システムを立て直そうとしている。
白銀朱音
ふとぅー。あなうー。きもちーこと。
月に照らされた姿が似合う、夜の帳……いや、鳥羽莉とは対照的に、日なたで佇む姿が似合う、生の輝き溢れる吸血鬼。
朱音と鳥羽莉。表裏一体の双子
かつて病弱でほとんど部屋から出ることができず、本だけが友達だった朱音。一方、元気で何をやらせても上手で、胡太郎や千佐都と充実した幼年期を過ごした鳥羽莉。
長く苦しい転化の末、やっと勝ち取れた健康と充実した日々を素直に喜んだ朱音。転化の苦労は少なくも、吸血鬼となったことによる人間である胡太郎たちとの断絶に絶望した鳥羽莉。
ちょうど表裏のコインを同時にひっくり返したかのような、姉妹にとって転化はそんな出来事だった。
朱音ルートの文化祭で、鳥羽莉に代わってレミューリアを演じた朱音。しかしレミューリアの声は鳥羽莉(CV涼森ちさと)のもの。これは……
単に演出上の都合と言えばそれまでの話。しかし、ここでは違う解釈を取ってみたい。
舞台に立ち、台詞を言っているのは鳥羽莉。そして、台詞の合間に挿入される朱音の 言葉は、胡太郎が欲しかった言葉。
「鳥羽莉の仮面」とは、鳥羽莉が胡太郎にとっていた冷たい態度のこと。愛する人を傷つけることを強く恐れ、隠すしかなかった本当の想い。
つまりこれは、鳥羽莉が今の朱音や幼年期の鳥羽莉のように、明るさを取り戻す物語なのだ。演劇の後、朱音が3人の繋がりに強く拘ったのも、この物語が鳥羽莉のためのものだからではないか。
物語や脚本を書くということ自体、虚構の紙の上でカタチにすることであり、虚構を形ある何かに映し出すことを、広く”演じる”と捉えれば、朱音もまた演技者といえる。
ペンで物語を綴ることと、演技で人生を体現すること。その最も大きな違いは、物語なら誰の話でも書けるが、演技はなりたいと思うものにしかなれない。そこの違いではないか。
鳥羽莉は鳥羽莉にしかなれない。朱音は何にでも変われる。
朱音が鳥羽莉のために作りあげた世界「月の箱庭」は、演劇という舞台の上で胡太郎と鳥羽莉が繋がり合うための、贈り物である。
おねーちゃん命令だよ。涙も後悔も物置に監禁、封印!
そんなもの、いつだって必要になったら取りに行けばいいんだから!
「身軽にならなきゃ、飛べない」
「共に行こう、永遠に続く夜の中を」
***
『永遠』を最も肯定的に捉えたシナリオ。吸血鬼とは言えど有限でしかない心の容積は、明るく楽しいもので満たそう。辛いことはしまっておけばいい。それなら長い夜に怯えることはない。
「今日だけだから~」という朱音に負けて毎日のように遅刻しかける胡太郎。「今日だけ」を繰り返すことが、生きることそのもの。永遠を生きるのに、遠い未来の見通しなんて要らなかったのだ。
朱音の明るさと賢さがあれば、永遠なんて何も恐れることはない、そう思わせてくれるキャラだった。
弓曳火乃香
吸血鬼を監視する為に国から派遣された管理官。
吸血鬼との恋によって父親を失っており、「吸血鬼」という存在に対して嫌悪がある。
もちろん、鳥羽莉や朱音といった、吸血鬼の個人に対してではなく、その血と運命に対して、である。
吸血鬼なんか、大嫌いだ。
胡太郎と結ばれる個別ルートは、火乃香自身、簡単には受け入れられないところがあった。だから精神を混乱させてしまったり、山奥の旅館に逃げてしまったりする。
それを救ったのは、遮二無二火乃香を探し続けた胡太郎。そして朱音の言葉だった。
何が怖いの?
だって、好きなんだよ? 一緒にいたいって、思うんだよ?
それだけで、怖い事なんて何もないよ。(朱音)
二人が結ばれたハッピーエンド。こうして白銀は続き、吸血鬼も続く。吸血鬼に囚われてしまうという、父の代からの宿命も続く。
しかし、その宿命を楽しむ朱音にとっては全く恐れることではなかった。この馬鹿らしいほどの素直さに火乃香は弱く、ある意味で火乃香を主体とした朱音ルート第2幕というような感まであった。
***
個別ルートは白銀家や吸血鬼の説明用という面も大きいものの、白銀の血との向き合い方という点で、ひとつの解答を提示したルートだと思います。
胡太郎や他ヒロインと比べ、頭一つ抜けて年上なので、彼女たちのことを客観的に見ている印象があります。プレイヤーの視点に最も近いキャラだとも言えるでしょう。「その後」については一切描かれませんが、吸血鬼の最高の理解者たる火乃香は、朱音の助けも相まって、白銀の宿命とうまく付き合っていける。そんな気がします。
【吸血鬼】
白銀家の”血”
白銀家の吸血鬼因子は男系相続。というのも、吸血鬼となる「白銀の女」には生理が来ないため、白銀の血を引いた男が人間の女性と交わることによってしか、その血を繋ぐことは出来ない。白銀の系統が一つだけなら、その血の宿命は胡太郎ひとりに全て懸っているとも言える。
胡太郎たちの父、白銀将太郎が、吸血鬼として覚醒した娘:鳥羽莉によって殺されたことが示唆するように、白銀の男は、吸血鬼の一番近くにいる人間として常に彼女らの危険に晒される。
ともかく、”白銀の女”は白銀を吸血鬼たらしめる存在でありながら、血を繋ぎ、吸血鬼の系統を保存することからは全く疎外されている。
”血を吸う”ということ
作中、吸血鬼は血を吸った相手(人間)の心を多少読むことが出来る、とあります。
血は形なき臓器であり、吸血鬼は一種の臓器移植を永遠に繰り返す存在とも言え、これを一段階進めて、人間ではなく吸血鬼の血を啜る体が後述のナイトということになります。
ナイト
night、あるいはknight。
吸血鬼の集合意識体。「個」を失った引き換えに永遠を得た存在。
永遠の夜を生き、同族の騎士として動く、実体なき意識。
火乃香によれば、
アレについて分かっているのは、自分を招いた吸血種の血だけを吸う事。
そして、自分に血を与えた吸血種の願いを叶えるということぐらいだ。
鳥羽莉によれば、
希望も無く、不安も無く、全てを捨て去った意識のカオス。
同族の血を糧とするフラクタルの吸血鬼
ナイトの存在そのものが、吸血鬼である鳥羽莉や朱音の未来を暗示してるともいえます。いつでもナイトに同化して、個体として自殺することが出来るとも。鳥羽莉ルートで言う、”二つ目の選択肢”がそれです。
序盤、胡太郎に正体を知られた場面で、鳥羽莉は”吸血鬼は生ける死者なのだ”と自嘲的に語る鳥羽莉でしたが、ナイトとして集合意識に身を埋めたときには、もう完全な死と言うしかないでしょう。死とは変わらないこと、なんです。
肉体を捨て去り、個体としてのあらゆる可能性を喪失したナイトが、世界に遍在する可能性そのものとなる。皮肉な話です。
【戯曲『月の箱庭』】
レミューリアが、自分を傷つける全ての者を死に絶えさせる「死せる月」に依存したセレスを救う。そしてセレスが、愛する全ての者の死を見つめて生きる「吸血鬼の宿命」に苦しむレミューリアを救う。
人間と吸血鬼の相互救済こそが『月の箱庭』であり、作者の朱音が夢想した、人間と吸血鬼の理想的な関係がそこにある。
全ヒロイン攻略後に出現する「月の箱庭」ENDは、吸血鬼の論理から見れば全く正当な結末であり、問題はそれが虚構だということだけである。
「彼女たちの流儀」における現実を劇中劇に引き寄せ、どこまでも続く舞台の上で手にした永遠。嘘を嘘と認識した上で楽しむ、ご都合主義の花。
「簡単に思い通りになる世界なんて、きっと嘘だわ」
鳥羽莉ルートの「本当」に対して、こちらは「真実」という副題が充てられています。
理想的、空想的な「真実」であっても決して本物ではない幻。しかし、「結局、人間だった」彼女たちが真に吸血鬼というバケモノとなったら、ナイトのような集合的な意識を手にしたら、あるいは本物になるのかもしれません。「真実」とはそういう恐ろしさを秘めたものだと思います。
【15周年】
15年、それは鳥羽莉が再び鳥羽莉として、愛しの胡太郎の前に立つまでの時間。
人間と同じように、ひとつの恋に執着せずにはいられなかった鳥羽莉が、答えを見つけるまでの時間。
一人の「恋する女の子」になるまでの時間。
「やっぱり……お父さまに似てきたわね」鳥羽莉はこう言った。おとなになった胡太郎の外見は、愛する父を殺してしまったという、かつての悲劇を想起させるものだった。
これは悲劇の再来の予兆なのだろうか? 恐怖は未だ続くのだろうか?
そうではないと、思いたい。
吸血鬼として苦しみ続けた日々は、鳥羽莉をゆっくりと成長させた。なにより、愛する人を傷つけることへの恐怖、それを乗り越える強さを手に入れた。
鳥羽莉は確かに弱い。朱音のように、ありのままの日常を無邪気に受け止める強さは、まだ無い。それでも、長い時が経ってもなお、胡太郎は鳥羽莉の傍に居たかったと、そう言ってくれた。ずっと鳥羽莉や他の女の子に流されるままだった、あの胡太郎が。
「恋は二人でするものだから、おっかなびっくり、ね。」
朱音という絶対的な光もなく、ナイトのご都合主義もなく、鳥羽莉と胡太郎、二人の力だけで成し遂げるのだ。
15年の回り道を経て、時は今、二人はほんの少しの強さを携えて振り出しに戻った。
「恋する女の子は、世界で一番のわがままなんだよ」
【参考リンク】
公式サイト
http://13cm.jp/130cm/games/theirstyles/
「彼女たちの流儀」で原画・シナリオを担当された「みやま零」さんのブログ
5chの彼女たちの流儀スレ(※ネタバレ等注意)
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